奉仕や職務に危険な部分はない、
彼が神の御手にあるならば。
自身と息子が生きるべきを生きるならば。
No portion of the service is dangerous if he is put in the hands of God,
and the self and the son LIVE that as is known! (602-7)
-- Edgar Cayce Reading

God とは何を指すのかという根源的な問題が棚上げではすべての構築物は砂上の楼閣

God, Gods, A god, He, Lord, Father, Elohim, YHWH, Yahweh, Jehovah, Adonai の違いを把握する。 まず、そこをしっかりさせないと、聖書をいくら読んでも、文学の読書サークル活動の域を出られない。 旧約とはなにか、新約とはなにか、旧約と新約の区別ができているか、旧約と新約をいっしょくたに扱って読んでいないか、聖書は誰が書いたのか?

ヤハウェ(ヘブライ語: יהוה‎、英語: Yahweh)は旧約聖書および新約聖書における唯一神の名である。

このあまりにも粗暴な定義が根本的な誤謬である可能性を問う。 このような定義がどのように生じ、定着してしまったかの研究は興味に値する。 そもそもイエスはなにをしにこられたのか。そこへシンプルにフォーカスしてみれば、いろんなことが見えてくる。 聖書から「文学的にはスイーツだけど無くても済む部分」や「ノイズ」をばっさり落としてみる。 まっさきに外してみる部分はパウロ書簡になるだろう。 ここを外すだけでずいぶん見通しがよくなる。預言や箴言の類も無くて済むから外してみる。 福音書もルカとヨハネで必要十分、むしろマルコとマタイがややこしくしているから外してみる。 よそ見せず、より道せず、ヨハネ福音書に集中することは近道になる。 あれやこれやと読ませ過ぎるから混迷を生む。 聖書は一貫した統一された書物ではない。 聖書がチャネリングテキストの寄せ集めであることを忘れない。 聖書にすべてが書いてあるわけではないことを忘れない。 ひいきのひきたおしになってはならない。 聖書研究と祈りだけでなく、スピリチュアルな食生活にする。 メディテーションに勤しむ。 サードアイ活性化に努める。

神は外部にいない。
神を外部に求めない。

水泳をしようという人が、水に入ろうともせず水泳の本を読んでいるだけでは限界がある。本を捨て、とりあえず水に入って手足を動かしてみる。溺れて死ぬ人がいるかもしれない。だからといって水に入るのを恐れていては、いつまでたっても水泳はできない。ましてや本に溺れては。

偶像は有形とは限らない。

Golden calf weltchronik.png

「金の子牛」事件を問う。偶像崇拝禁止と言いつつ「無形の偶像」を崇拝するということもありうる。不立文字を忘れ、聖書そのものを金の子牛にしてしまうこともありうる。

Word は Logos。
Love は Agape。

Logos が意味を持つために必要なフィールド。
Agape として作用している根源的なエネルギー。

すべての情報は保存される。
情報が失われることはない。

topic: philosophy
first posted: 2018-07-04 13:30:33
last modified: 2018-07-20 17:17:29