In the beginning was the Word,
and the Word was with God,
and the Word was God.
-- John 1:1 King James Version (KJV)

「やさしさに包まれたなら - 荒井由実」の歌詞があまりに波動的、量子的であり、そういうことを知っててこの詩を書いたならすごいし、知らなくて書いたならもっとすごいと思った。わかってる人はわかってるのね。インスピレーションやインチュイティヴで「この世の仕組み」を「知っている」んだと。 John 1:1 の Word もメッセージ。 God が先か、Word が先か。 どちらが先でも後でもないのか。 ここがとても重大な問題なのですよ。 聖書のコアの中のコアは John 1:1 であります。そして本物のワンネスや本物のスピリチュアリズムのコアと同じでものでもあります。 本物のキリスト教つまりイエス教のコアはワンネスだということが見えます。見えなきゃおかしい。 偽物のキリスト教とはなにか。単刀直入に言えばネオユダヤ教のことです。

John 1:1 に God は Word だと書いてある。 だったら素直にそう読めばいいだけ。 つまり God はテトラグラマトンではないということになる。 あの「生贄に文句つける神」「生贄が気に入らないと言ってその生贄をささげた人を滅ぼす神」「復讐の神」「怒りの神」「選民主義の神」 じゃあテトラグラマトンはなんなのかというとユダヤ教の神です。 素直に読めば、ある結論に達する。 ユダヤ教の神とキリスト教の神は違うのだと。 聖書の総括と言える Gospel of John にワードは神だと書いてある。 クリスチャンはなぜここを避けて通るのでしょうか。 ワードはギリシア語版だとロゴスですね。 ロゴスをワードと翻訳している時点でかなりしんどいわけです。 ロゴスはロゴスでしょう。 ロゴスを理解しないと。 神は理解できないでしょう。 ヨハネがそう書いているんだから。 屁理屈な注釈でもって捻じ曲げていく必要がどこにあるのでしょうか。 理由は布教における都合でしょう。

「物質そのものがメッセージである。 メッセージとは情報であるから、 物質も情報の「ある種の表現」である。 物質という「もの」が存在するのではない。 情報(メッセージ)という「こと」が存在しているだけだ。 実在するのは情報(メッセージ)だけで、物質は実在しない。 物質は情報が表現され、解釈された結果なのだ。 神は情報の表現者だ。 情報に意味を持たせているのが神だ。 神がいなければ情報は意味をもたない。 神とメッセージは不可分だ。 情報だけでは情報にならない。 情報が情報であるために神が在る。 神も情報なのか?神もメッセージなのか? メッセージに意味をもたらすメタメッセージが神なのか?」 キツネは言った。

水のメッセージ

Dr. Yasuyuki Nemoto Lecture at ECETI Ranch, 9.2015 from JCETI on Vimeo.

topic: philosophy
first posted: 2017-08-18 23:57:18
last modified: 2017-08-24 12:55:45