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見と行
修行は「見」と「行」の両輪で進みます。
「見る」と「行う」の二輪車です。
「行う」ことだけに夢中で、
「見る」ことを疎かにしている、
そんな人がほとんどです。
「見る能力」と「見たことをする能力」は、別のものだと思っている人が多いです。
じつは同じ能力です。「見たことを見たようにできない」のではなく「ちゃんと見ていない」だけなのです。
テニススクールへ行ってボールを打ちたいだけの人は、ボクシングジムへ行ってサンドバッグを叩いてすっきりしたいだけの人、ゴルフの打ちっ放しへ行ってドライバーを振り回してすっきりしたいだけの人と同じです。
それはテニス上達の修行ではありません。
そのようなことを今まで続けてきたでしょう?
だから何十年もかかってほとんど上達していないでしょう?
今まで何十年もかけてやってきたことは、テニスの修行ではなかったということなんです。そのことをまず知ること。それがテニス上達のスタートになります。
きちんと「見る」ことがじつは一番難しい。
きちんと「見る」ことができたら、99%のことは終わっているということです。
「見」なき「行」は「偽りの自己満足」にしかなりません。
テニスの放送を見るときでも、どちらが勝った負けたと言って騒いで浮ついているだけで「テニスそのものを見る」ことはしていないでしょう?
学び方を学ぶこと。
まず「見る」方法を学ぶこと。
そしてちゃんと「見る」こと。
それから「見る」と「行う」の二輪で走ること。
「見」と「行」の二輪車の馭者になること。
「行う」だけならいつでもできます。
「行う」だけでは脱線するだけです。
topic: philosophy
first posted: 2016-04-02 14:12:38
last modified: 2016-04-02 17:57:24