ペーパーバック

星の王子さま問題のエッセンシャルは、 "L'essentiel est invisible pour les yeux." をどう訳すか、 Woods (1943) "What is essential is invisible to the eye." は意訳的誤訳か? Howard (2000) "Anything essential is invisible to the eyes." と 内藤 (2000) ”かんじんなことは、目に見えないんだよ” はフランス語原文に忠実なのではないか、という疑義です。 ちなみに Google Translate は ”You can not see what is essential with your eyes.” でした。

-Adieu, dit-il...

-Adieu, dit le renard. Voici mon secret. Il est très simple : on ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux.

(Le Petit Prince CHAPITRE XXI)

キツネは「なに」を見えないと言っているのか。見えない「なに」かは単数か複数か。

ようするにキツネはなにを見えないといっているのか。その解釈が割れるんです。 「the essential そのもの」は目に見えないといっているのか。 「なにが essential かということ」が目に見えないといっているのか。 下手な勘ぐりを捨てて素直に読めば、「the essential そのもの」は目に見えないと言っているとしか読めません。 そうであれば、Woods 訳は小説中もっともエッセンシャルな箇所でとんでもない大誤訳をしている、ということになりますね。 The essential is invisible としかキツネは言っていないんです。 そこへ翻訳者が自説を介入させることってどうなのよ? というわけです。 Woods 訳より Howard 訳が正確かというと、これはこれで新たに単数複数問題を作ってしまっているのではないか。 ややこしい問題ですね。 「ほんとうのエッセンシャルはひとつだけ」 (the) なのか、「エッセンシャルはいくつかあるけどそれらぜんぶ」 (anything) なのか、ということになるともう根こそぎな問題を新たに作ってしまっていることになる。 そんなことを考えていると、この小説中「もっとも重要な部分の翻訳」に関してだけいえば、内藤訳の突き放しっぷりは、原文に忠実ですっきりしてていい感じじゃない? という気がしてきます。 Antoine de Saint-Exupéry に(下世話にも)聞いたひとはいるんでしょうかね。作者ならそんなこと聞かれてもご想像におまかせしますとしか返したくないと思いますが。

ごちゃごちゃしないでふつうに The essential と訳せばいいじゃないかと思うのです。それからさきは読者の直感力と想像力の問題でしょ? 翻訳者は余計な意訳の誘惑に勝てるかどうか。 よい小説は読者を突き放すもんです。よい小説は読者に合わせて書かれはしない。 すべての読者を子ども扱いして、余計な包みで覆うことは過剰サービスではないのか。原文が無骨であれば、英訳も無骨になるのが筋。お花畑でふわふわってなお話じゃないんですから。童話ってのはたいていキツい話ですよ。童話にでもしないとキツすぎるから童話にしてるんですよ。そして童話は美しく結晶化する。結晶はプリズムを生む。 Harcourt 社にとって 1943 年の時代的な糖衣を洗い落とすのが 2000 年の大改訂だったわけですよね。 当然、旧訳に慣れ親しんでいる糖衣好きな人たちからの集中砲火にさらされますわね。 新訳の翻訳者は時代的糖衣を落とす事で見えやすくなるエッセンシャル、それを期待したのだと思います。 しかしそれは読者にある程度の直感力洞察力読解力共鳴力が備わってのことになりますね。 しかしフランス語から英語に訳すのってなんて簡単なんでしょ、日本語に訳す事から見れば。

要するにフランス語で読んじゃえばいいざんす。 基本的に童話(のふりをしているもの)ですから、 読むだけならなんとかなります。 言語力と読解力はまた別の話だけど。

フランス語原文はフリー
http://gutenberg.net.au/ebooks03/0300771h.html

topic: book
first posted: 2015-09-02 10:20:01
last modified: 2015-09-04 21:23:19