というようなことを言っていたのはブルックナーである。 モーツァルトとブルックナーの共通性として「作曲というより、チャネリングや自動書記に近い活動」ではなかったのかという気がしてならない。 接続先はアポロンあたりだろうか。宇宙も物質もなにからなにまですべてはある種の音楽で記述されているとして、音楽が言語であるなら、音楽を下位次元の音楽に機械的に翻訳できるはずであり、その科学に関して人類が無知なだけである。宇宙の音楽をそのまま我々が聴ける音楽のレベルへ機械的に翻訳できるはずである。その科学を体系化できないかというような壮大な事をブルックナーは目論んでいたふしがある。音楽が数学の一種であるならば、作曲は数学的な活動ということになる。神とは、音楽とは、再帰性のなんらかではないのかといったようなことにもなる。

その科学がものになったとする。ブルックナー音楽=ブルックナー言語を習得すれば、ブルックナー語を喋れる=「ブルックナー」として作曲できるようになる。そういうことが可能かもしれないのだ。この神秘的な話はブルックナー科学で書かれたブルックナー音楽に限られる。科学で書かれているから、芸術家の一代限りの創作ではないから、ブルックナーでなくてもブルックナー科学を理解したものなら継承進化発展させられることが可能かもしれないという事である。

コールズさんががんばっているおかげで、私たちは未完かつ散逸したブルックナー9の第4楽章の断片をつないで聴く事ができる。 断片を断続的に聴いても涙がこぼれる。完成していればどんなにすばらしいフィナーレになっただろう。断片がほんとうにかっこいいのである。神の光を見事に捉えたスナップショットが何枚も残されている。第4楽章の全体を聴けていたのは神とブルックナーだけだ。9番は神に捧げた音楽であるから、それでいいのだということもできるけれども。 ブルックナーはそんなスナップショットをたくさん残している。第4楽章はほぼ完成していたのだ。ほとんどの楽譜は残っているし、オーケストレーションが完璧にできているところもある。ブルックナー言語を科学的に理解していればオーケストレーションは機械的にできるはずである。スナップショット自体はブルックナーが捉える必要があるだろう。それはブルックナーにしかできない。幸い、十分なスナップショットが残っている。断片だけを断続的に聴いていくのもいいが、第4楽章としてつないで完成させることへの挑戦は続けてやっていくべきである。 ジェスマイヤー版のモツレクのように。いつかきっと受け入れられるはずである。残された断片はあまりにもかっこいい。

topic: classic
first posted: 2015-02-02 15:01:04
last modified: 2015-02-07 00:29:03