たとえば、スプラウト療法。スプラウト自体は毒である。基本的に芽や種は毒である。毒なのになぜ体に良いのか。 体に良いわけではない。あくまで毒である。毒を持って毒を制するメカニズムである事をわかったうえで採用するべき療法ということ。 まったく健康な人にとってスプラウトは毒にしかならない。 だれかがスプラウト療法で健康を取り戻したからといって、 健康な人が「スプラウトは体にいい」と単純に考えてスプラウトをやたら食べると、それは毒にしかならないので、健康を損なっていくことになる。

おなじことが玄米や生アーモンドにも言える。玄米パラドックス。玄米はある人にとって「毒を制する毒」であり、ある人にとっては「ただの毒」になりうる。病気のだれかに効いたからといって単純にだれにでも効くわけではないし、健康な人の健康をより増進するものでもない。

ケイシーのメディカルリーディングは、その時、その人にとって必要な「毒」がなにかを読んでいるのであるから、基本的に汎用性はない。そのリーディングだけをみて、わたしも!というわけにはいかないのだ。生アーモンドも基本的には毒である。あの当時の「一般的なアメリカ人」が「一般的なライフスタイル」で取り込んでいた「一般的な毒気」を制するのに「4粒の生アーモンド」という「一般的な処方」が出されていたということを理解したうえで、生アーモンドをどう摂るか考えることが必要だろう。

そんなに簡単な話ではない。療法はまずそのメカニズムを理解したうえで採用したい。

topic: health
first posted: 2015-01-08 14:45:46
last modified: 2015-01-08 15:35:20