読んでる雑誌に載ってたとか、 見てるドラマで使われてたとか、 そういうことで、2、3枚クラシック音楽のCDを買ってみただけでは、 いつまでたってもクラシック音楽なんか聴けるようにならない。 「クラシック音楽は体に合わない、おいしくない」って、ちゃんとしたクラシック音楽と出会ってないだけかもしれない。 「クラシック音楽は自分にはなんとかかんとか」なんてすぐ言うひとは、 いつまでたっても本当の芸術に出会えないし、 自分にとって必要な、自分の生活を本当に豊かにしてくれる、 親友のような「自分のためのクラシック音楽」と出会えることはない。 美術館に行って美術品を眺めて「ほう」とか「わあ」とか言ってるレベルから脱却できない。 音楽は美術館にある置物ではない。 最終的段階で自分が関与して自分の脳内に作りあげるものです(註)。 そこのところ、根本的に判っていないひとが多すぎる。 音楽はできあがっているものではないんです。

べつにいいのですよ、クラシック音楽なんか無理して聴かなくても。 でもちょっと無理して聴いてるうちに「自分のクラシック音楽」に出会えたなら、 いままでなんとつまらない音楽を聴いていたのだろうと思うことになるでしょう。 運もありますから、いきなり自分のクラシック音楽と出くわしてしまう人もいます。 やはり「音楽のほうが人を選んでいる」のかもしれないなあと思ってしまうのです。 だから音楽を聴いて、いちいち「これは自分に合うとか合わないとか好きとか嫌い」とか考えるからうまくことが運ばないのです。 もっと大きくなりましょう。 音楽なんかただ聴けばいいじゃないですか。 だいたい2、3枚クラシック音楽のCDを買っただけの人が「クラシックはおいしくない、自分には向いていない」なんてどの口が言っているのか。 聴いてなにも起きなければ、その時と場所ではなかったというだけですよ。 まったくなにも判っていない。 そりゃそんなところでは何も起きない。 本物の音楽鑑賞は「殿様聴き」では無理なんです。 この世にはあなたのために書かれたクラシック音楽があるのです。 自分のクラシック音楽をみつけることは簡単なことではありませんし、 簡単ではないからこそ、見つけたときにその価値はかけがえのないものになるのです。 簡単に手に入るものはその程度のものです。

註: 厳密に言えば美術品を鑑賞することも最終的には脳内で起きる錯覚ですが、 美術鑑賞に比べれば、音楽鑑賞のほうが鑑賞者の脳内で生成しなければならないことは桁違いに多くて複雑で精妙ですから、 音楽鑑賞のほうがはるかに難しい。高い感性(想像力や共感力など)はもちろん、ある意味の運動神経も関わってきます。 音楽情報をリアルタイムに処理しなければなりませんから。 楽器の数、音の数が増えればそれだけ鑑賞者の音楽情報処理レートも高い事が要求されます。 だから聴く練習も必要になってくるわけです。 いきなり生まれて初めて自転車に乗れますか? リズムだけの原始的な音楽にあわせて体を揺するとかそういうのは「聴く」ことではありません。 しかしそういう「聴き方」も音楽療法では「あり」ですが芸術鑑賞の方法としては限界があります。

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first posted: 2011-09-20 13:40:29
last modified: 2011-09-22 20:26:09