知的向上心のある日本人なら、英語を喋れなくてもいいから、せめて英文はちゃんと読めるようになりたいと思うだろう。 日本の英語教育は「英文解釈教室」ではなく「悪文解釈教室」になっている。 英文アレルギーの日本人を量産するだけだ。 音楽教育がくだらないクラシック音楽を聴かせて、クラシック音楽アレルギーを量産したりもする。 ベートーヴェンなど聴かせず、ロッシーニだけ聴かせていれば、クラシック音楽好きな良い子が増えるだろう。

「オーウェルの六か条」というのがある。

Politics and the English Language (1946)
  1. Never use a metaphor, simile, or other figure of speech which you are used to seeing in print.
  2. Never us a long word where a short one will do.
  3. If it is possible to cut a word out, always cut it out.
  4. Never use the passive where you can use the active.
  5. Never use a foreign phrase, a scientific word, or a jargon word if you can think of an everyday English equivalent.
  6. Break any of these rules sooner than say anything outright barbarous.

日本向けに超訳すると、

1 比喩を使うな。
2 短い言葉を使え。(短い言葉で用が足りないなら用そのものが間違っている)
3 削れるものは削れ。
4 受動態を使うな。
5 ラテン語、漢語、専門用語を使うな。
6 野蛮な文章を書くくらいなら、なにも書くな。

この原則を徹底すればほとんどの場合、

なにも書くな

という原則で済む。 書くために書くな。書かずに済ませよ。 比喩に頼っている村上春樹はどうすればいいのか。 外来語を使うなというのは、日本語では難しい。 漢語はできるだけ使わない。 漢語をたくさん使うのが玄人だと勘違いしている学者は安っぽい。

悪文の例:[使い古された比喩]

程度の低い本は、漢字を使えばいいと思っている文学者が砂上の楼閣の上に建てた悪文のデパートである。

文法的にも破綻している悪文の例:

オーウェルの時代の英語の退廃が、話者を抑圧するために故意に悪用されている状況を比喩的に描いたものが、『1984年』におけるニュースピーク使用の強制についての描写である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ニュースピーク

以下のように書かれるべきである。

『1984年』のニュースピークは話者を抑圧する。 頽廃した英語への皮肉である。

ジレンマが在る。 悪文を駆逐するには語彙を減らした単純な言語を採用するのも手である。 「ニュースピーク」などこねくりまわさずとも「ペンギン・レベル 1」を新英語とすればよい。 それで書けないことは書く必要の無いことなのだ。 しかしそれは筆者と読者を堕落させ思考力を低下させていく。 このジレンマを背負いつつ「政治と英語」のエッセイは「1984」という作品に織り込まれていく。

オーウェルの六か条のほかに、タキトゥスの文体も良い見本である。岩波文庫の翻訳はその文体を翻訳するのに苦心している。 タキトゥスのゲルマニアを読めという場合、内容のことより、その文体を刷り込ませる意図がある。 オーウェルが文体初級者向けなら、タキトゥスは文体上級者向けであろう。

私は以下の原則を使っている。

1 自分のために書け。
2 読者のレベルに合わせるな。
3 重層文を書くな。
4 楽しくないことは書くな。
5 未来のことを書け。
6 見えないものを書け。

1 と 2 は「読者を想定するな」ということでもある。 4, 5, 6 は良い SF のことでもある。 読者など想定しなければ、言葉と文章は美しくいられる。 読者を必要とした時点で文章は美しくいることが無理になる。 言葉は人に届いた瞬間、変わる。 言葉の姿を確定することができない。

水面の波は美しい。岩に当たって壊れるまでは。
空気の波は美しい。人に当たって崩れるまでは。

私は最近そもそも 1 から逸れていることが多くなっている。気をつけよう。 そもそもこのブログはスクラッチビルドな DIY の実験場なのだ。 その記録(ログ log)なのだから気に入ったこと、楽しいことしか書かない。 失敗も楽しいことだから書く。

しかし、短く書き短く言うことは誤解を生む宿命を持つ。 単純化は賢者にのみ許される。 愚者が単純化に走ったときどうなるか知りたければ歴史を見ればよい。 あることを言えば、その逆のことを言うこともたやすい。 箴言とは賢者に与えてこそ箴言になる。 愚者に与えては誤解と曲解と嫉妬と憎悪を産み、 まわりに迷惑をかけることになる。

読者を想定するなら神を読者にすればよい。 ブルックナーは当時の聴衆のためになんか作曲していない。 ブルックナーは大好きな神さまを聴衆に想定していた。

神に向けてということは、つまり自分の心に向けてということになるから、 やはり「1 自分のために書け」ということになる。

topic: philosophy
first posted: 2011-08-01 10:43:44
last modified: 2013-05-21 00:58:49