そんなことはわかってるよ、お金がないのよ!
って声が聞こえる。宇宙はお金でできているとしたら、 そんな宇宙に 彼は力強く毅然と「全否定」をたたきつける。
そんな宇宙への入場券など私は返上する。(C) イヴァン「カラマーゾフの兄弟」本当の主人公
ノーガード戦法

壊れたら修理しない。
壊れたら捨てる。
エアコン使わない。
くるまも使わない。
何も求めない。
お金を使わなければお金もいらない。
すべては錯覚。
真実など無い。
すべてが虚構であれば、
それは虚構とは言われない。
虚構を虚構であると言う、
その立場も虚構の上にある。

本当の主人公イヴァンをただの無神論者とか思っているなら、 誤読も甚だしいので、カラマーゾフの兄弟を読み直す機会です。 読むならちゃんと米川訳で。

べつにどんな超訳が存在しようとかまわない。 亀山訳が否定されるなら、 小沢征爾のクラシック音楽とやらも否定されねばなりません。 大誤訳連発であっても指摘を真摯に受け止め、第2版で直せばいいだけのこと。 ロシア文学者はミッションとして誤訳の指摘をしているのであって、 翻訳者が憎いからやっているなんてレベルの低い話ではありません。 誤訳を指摘されて「怒りに打ち震える」ような翻訳者や出版社に新訳を出す資格はないでしょう。 ミスは恥ではない。ミスを認めないのが恥なのです。

誤訳がどうのというよりもまず、 あえて低俗な三文サスペンスなテイストにしたと翻訳者がいうところのあの日本語を、 読むに耐えられないと思う感性もなく読破するような読書体験の向こうに、 どんな世界が広がるというのでしょうか。 あの調子だと亀山さんってショスタコーヴィチも実はろくに聴けてないのかもという気がするのです。

亀山訳問題は「低俗低級になってもいいから敷居を下げる」問題についての貴重なヒントのひとつになっています。 この問題はクラシック音楽にも立ちはだかっています。 敷居を下手に下げることはその世界の崩壊を引き起こすのではないかという考えもあるのです。 敷居を下げたところで、そんなことで入ってきたようなひとがなにをどう感じるというのでしょう。

敷居などそもそもない。 見せたくなくて敷居を作って隠しているわけでもないのです。 芸術にはカテゴリーがあります。 お呼びでない人が入ってきてもしかたがないということがあるわけです。 底辺を広げないと全体が縮小し滅んで行くことになるから敷居を下げなければならないという考えもあります。 難しい問題です。なにかシンプルな方法はないかといつも考えています。

topic: book
first posted: 2011-05-11 14:00:13
last modified: 2012-02-17 01:54:11