あたりまえのようでこれがなかなか難しいのです。 聴くヒトが「劇」や「映画」で、 音楽はそのヒトの「劇付随音楽」や「映画音楽」だと考えるとわかりやすいでしょう。 聴くヒトのプリンシプルなり美学なりビジョンなり生き様なりを讃えるのがブルックナー。 そうであれば、プリンシプルなり美学なりビジョンなりの無い人がブルックナーを聴いてみても、 ブルックナーという音楽の中には何も見出せないということになります。 夢のあるヒトを支援したり賞賛したり癒したりするというのがブルックナーの機能です。 だからブルックナーそのものをいくら調べてもそこにはなにもないのです。 ブルックナーに何も見出せない人は自分自身に対して特に何か見出すべきものもないはずです。

ブルックナーは乗り物だというのはそういうことです。 ブルックナーという音楽の中にストーリーやドラマはありません。 ブルックナー鑑賞においてストーリーやドラマは聴く人の側に求められます。 透明感、結晶感。宇宙的、超越的。 それはベートーヴェンやブラームスやドヴォルザークに比べ異次元の音楽鑑賞系なのです。

topic: classic
first posted: 2011-04-19 17:16:34
last modified: 2011-04-19 22:23:14