芸術すべてに言えることではありますが、 音楽ではバランスのいいことだけが良いことではないんです。 作曲者が「あえてなのか、たまたまなのか」バランスを外すことがあります。 ファッションでもそうですね。 演奏者や鑑賞者がその「バランスの崩し」の意味や核心に理解がないと、 音楽の鑑賞は成立しない。

ブルックナーはバランスが悪いとよく言われます。これなんかまさに「本物の芸術に対する稚拙で不当な指摘」でありまして、

ブルックナーが宇宙の基を据えたとき、君はどこにいたか。

そこはわざとバランスを崩しているのだよ、それによってなにが起きているか、それによってどんな「風」が起きているか、どんな「運動感」が起きているか、そこまで感じるセンスが必要とされるのです。 ブルックナーは優しいのでそんな「稚拙な指摘」にも応えようとしたりしました。 それはけっしてよいことではなかったのですが、そのおかげで私たちは様々な「バージョン違い」を楽しむことができるのです。 ブルックナーの改訂は大筋においては「未熟や誤りの修正」ではないのです。 当時の稚拙な演奏者や鑑賞者のレベルに合わせたバージョンの必要性を認めただけなのです。 「誤りの修正」ではないのだから、オリジナル・バージョンは未来のために大切に残してほしいと強く願っていたのです。

運動性を高めるにはあえてバランスを崩す必要がある。

完璧にバランスがとれすぎていると、どちらへも動きがとりにくくなるのです。 安定感や安心感はあっても、「発展する感じ、広がる感じ、向こうに何かある感じ、はっとする瞬間、ときめき」そういった高次の芸術的表現がしにくくなるのです。 動きを表現するにはまずバランスを慎重に目的を持って崩す必要があるのです。 それが動きを生むのです。 その動きは「動かす」のではなく「動いてしまう」のです。 動きは自発的です。 なんだか甲野善紀さんを思い出しました。 このへんってまさに柔道とか合気道とか古武道の核心と同じですね。 内にあるものを引き出す。 外から入れるのではない。 ブルックナー鑑賞も結局は鑑賞者の内にあるものを解き放ってあげる運動ですよ。

topic: classic
first posted: 2011-02-14 18:02:37
last modified: 2011-02-14 18:26:18