クラシックの聴き方を講釈することが成立しうるかという問題の話です。 相手かまわず自分の好きなものをおすすめするだけなら誰でもできる。 コンサート会場でのマナーブックとかも簡単に書ける。 これはこういう意味があるのだとか、 これはあれを象徴しているのだとか、 その作品の音楽史的な位置とか価値とか技法とかはああだこうだの解説本ならすでにある。

そういうものではなくて、 これはこう聴くのだという取扱説明書のような本が成立しうるかと言う話です。 好き嫌いではない聴き方、接し方、解釈の仕方、作品観賞の心得、作法、手引き書のような本がありうるかとういう話です。

結論を先に言えば、 そういう本を求めることがある意味ナンセンスだし、 誰もそんな無粋で野暮な本を書きたくないでしょう。 しかしあえて書くとしたらどうなるか。 以下、オカルトに片足突っ込むことになるので、 そのへんにアレルギーがある人は読まないほうがいいですよ。

音楽をなぜ聴くのか、その前に音楽がなぜ作られたか。

音楽は生きる喜びをもたらすために作曲されている。 音楽を聴くとは、世界を自分で探していく旅。究極的には自分を探す旅でもある。 作曲家は最低限の空間だけを用意する。 音楽の向こう側を作るのはリスナーの仕事。

優れた音楽はメタ言語であるとか。 言霊とか。神秘主義とか。教会音楽の意義とか。

どうしても知識がいるという人なら、神学、神秘主義、神智学、ユング、アドルノあたりをほどほどに勉強しよう。音楽史をやればどっちにしろこのあたりをかじることになるでしょう。でもそっちに深く入ってはミイラとりがミイラになる。教会が音楽をなぜ必要とするのかを研究するのもいい。
音楽観賞とは、波に身をゆだねること。 宇宙の波と調和し同調することで、自分の乱れた波を整える。カタルシス。浄化。エクスタシー。オーガズム。宇宙とのセックス。神とのセックス。これは神秘主義の解釈ってことね。 ブルックナーなんてまさに宇宙との疑似セックス。ブルックナー体験のエクスタシーってセックスのオーガズムと同じような脳内物質がどばぁーと出てそう。

クラシック音楽の聴き方。クラシック音楽の取扱説明書。

教養という名のポケットにクラシック音楽をコレクションしようとするのはやめよう。 クラシック音楽をたしなむことを教養のひとつみたいに勘違いしない。
ありのまま受け入れよう。自分の小さいポケットへ入るサイズへ折り畳もうとしない。
楽譜を見ながら聴くのはやめよう。
聴くとは自我を溶かす作業である。自分の領域を拡大する作業である。自分の周りの隔壁を消滅させる作業である。それなのに自分の領域はここだと主張してなんになるのか。自分の領土はここだと誰に主張しているのか。
直感を働かせよう。素直になろう。感じよう。
下手な教養、知識を捨てよう。邪魔なだけ。勉強するな。
心を開こう。
身も心もゆだねよう。下手な抵抗はやめよう。
心をほぐし、柔らかくしよう。
何も考えない。
頭で聴くな、体験せよ。
意味なんて求めるな。
陶酔しよう。
宇宙の調和と交わろう。聖なるものに貫かれるイメージを持とう。
音楽は文学じゃない。芸術体験として文学より階梯は上、心に直接響く原初的なるもの、究極のメタ言語でもある。
見栄を張らない。
馬鹿になろう。
寄り道しよう。
永遠のビギナーたれ。
学校でベートーヴェンを聴かせるな。
その音楽に感動できないなら、そもそもその音楽を必要としない人生を送っているし、その音楽もあなたを必要としていない。

Q&A

Q:モーツァルト、ベートーヴェンは聴けるけど、ワーグナー、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチが聴けません。

A:モーツァルトやベートーヴェンは、レストラン型というか、椅子に腰掛けてフルコースのディナーを注文する客、お殿様の態度で接しても大丈夫です。注文したらあとは全部サービスしてくれます。お客は何もしなくてよい。コースどおりに出てくる料理をただ食せばいいだけの「お客様は神様」的音楽なのです。 しかし音楽にはそういうお客様根性で接することのできないものもたくさんあるのです。旅行型、参加型、登山型、体験型の音楽とでもいいますか。心を解き放ち、音楽と一体になることを求められます。
美しすぎる体験ができると同時に、痛い思いもします。 音楽体験とは何かということ理解できていなければ、 痛さに文句を言うでしょう。 音楽体験により自分にどういう変化が起きるか、それが価値です。 音楽を聴く前に、仏教とか禅とかやってみるといいかもしれない。 読経の意義とか。一度、ヨーロッパを離れてチベット仏教の音楽を聴いてみましょう。

Q:ブルックナーの音楽をきくのにいちいちアルプス山脈とか霧とかイメージしてしまいます。

A:音楽は絵画ではありません。 まさに下手な予備知識が邪魔になっている典型例です。宇野本とか先に読んでるのでしょう。音楽に表題を付けるのもまったく余計なことです。アルプス山脈を描写したいのならブルックナーはアルプス山脈の絵を描けば済む話でしょう。仮にアルプス山脈から着想を得たとして、聴衆も同じことをイメージすることが、音楽への同調ということではありません。 それは音楽を歪んだ小さなものにしてしまうことになります。自分のポケットへ入れようとしないこと。理解しようとしないこと。

Q:ハンマーが何かを象徴しているとかすぐ思ってしまいます。

A:音楽は文学ではありません。まさに頭でしか聴けない典型例です。重症です。ワーグナーとかショスタコーヴィチを聴くとき、はまりやすい罠。蘊蓄の温床になりがち。ドイツ文学者とかロシア文学者は自分の土俵でしか何も言えないので、我田引水に必死なのです。彼らの言説に惑わされてはいけません。

Q:どうしてもだめです。

A:再生装置のせいかもしれません。ちゃんとしたオーディオを買ってみましょう。気持ち良く聴けるほど音が良くない、という単純な理由かもしれません。それなら話は簡単です。20万円用意してください。それだけあれば十分です。オーディオを買いましょう。買うときは家電量販店で買ってはいけません。ちゃんとしたオーディオ屋さんで買いましょう。少し高くてもオーディオ屋さんで買いましょう。そこで1万でも2万でも安く済ませようという、ケチな根性ではいけません。ケチな人は音楽に嫌われます。オーディオを変えると聴く音楽まで変わるというのはよくある話です。ただし、装置の方に深入りしすぎるのは本末転倒です

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first posted: 2010-12-21 00:29:52
last modified: 2011-07-11 10:56:23