「普遍名辞の古典的問題」と訳される。 この訳し方がどうなのよという話。 「普遍についての古典的問題」と訳すべきでしょう。

クラシック音楽鑑賞に役立つ哲学

「term 名辞とは concept 概念を言語で表したもの」である。 concept を言語できちんと表現できるのかという問題がある。 concept の icon が term とも言える。 concept を言語ではなく音で表したものはなんなのかという問題がある。 それはまさしく音楽である。 しかし音楽は必ず concept を表しているわけでもない。 音楽も言語も道具に過ぎないが、音楽 = 言語ではない。 音楽は言語の代替ではない。 言語で表現できない concept を表す時に使う道具が音楽である。 だから音楽を言語で表現することはできない。 音楽とは概念を音で表したもの。 楽譜とは音楽を言語で表したもの。 だからといって「音楽=言語だから音楽をドイツ語やフランス語や英語や日本語で記述可能」とまで言うのはまったくの誤謬である。 「音はメタ言語である、音楽とは概念を音というメタ言語で表したもの」というならわかるが。 音楽は楽譜ではない。 楽譜は音楽ではない。

実際上 term は cencept と同じである。 実際上 concept は universal でもある。 実際上 term は unversal でもある。 実際上 universal は idea でもある。 idea とは class とも言える。 したがって実際上 term = concept = universal = idea = class である。 「object 個物は class 普遍の instance 実在である」というのがプラトン主義 = idea 論 = realism 実念論。 オブジェクト指向プログラミングはまさしくプラトン主義。 普遍の存在を否定するのが nominalism 唯名論。 universal には class 型, property 属性, relationship 関係性などがある。

「concept は言語とは独立したもの」である。 concept は言語に先立って存在している。 では concept は先立って何処に存在しているのかという問題が出てくる。 concept = idea = unversal は何処に在る?

the classical problem of universals
普遍についての古典的問題 = 普遍論争

三つの立場が在る。 プラトン:普遍が先、個物が後。 アリストテレス:個物が先、普遍が後。 ヘーゲル:どちらが先でも後でもなく、普遍は個別を離れて自存するものではない = 具体的普遍。

ブルックナー鑑賞の目指すことのひとつは「主体の消滅」である。 existentialism 実存主義の体験ツアーでもある。 西欧近代に対する無意識的な反抗。 主体の消滅と言えばランボオ「私は一個の他者である」。

しかし「自動筆記」ってスチーム・パンクだよね。

topic: classic
first posted: 2010-12-20 01:40:34
last modified: 2010-12-20 05:34:42