クラシック音楽を聴いて「難しい」とは何か。 簡単に言えば「なにをどうしていいか判らない、道に迷う」という感じでしょう。 では「易しい」とは何か。 メロディがはっきり一本道、リズムも単純な一本道、ハーモニーも2色の混合くらいな単純なのがひとつだけ、 そしてメロディにはおしつけがましい一義的ではっきりしたドラマがある、というベートーヴェンのような音楽です。 つまり、すべてが「一方通行、単線式、1層式」だから判りやすいのです。 お客さんは何もしないでいい。ただ座っていれば音楽の方がすべて面倒見てくれる、そんな音楽です。 ワルツやマーチの類が該当します。 難しいというのは「3次元通行、複線式、重層式」ということです。 本物の芸術というのはお客さんにいろいろ求めてきます。 お客さんはただ座っていればよいというわけにいかなくなってくるわけです。 受動的な鑑賞態度から能動的鑑賞者にならなくてはならないのです。

芸術の成立に参加するということ。鑑賞者は最後のパーツ。

はっきりしたドラマがどかんと解釈の余地なく提示されるベートーヴェンのような音楽は、お客さんが想いを込める必要がありません。絵画なら具象画ですね。 ブルックナーやマーラー、そして一部のショスタコーヴィチは絵画なら抽象画なわけです。 そこには鑑賞者のほうで想いを込めてその芸術を完成させる必要があるのです。 つまり本物の芸術は「自立していない」ということ、「完成していない」ということ。 それが完成し成立するために「鑑賞者の想い」という最後の要素を必要としている。 それは観賞者の脳の中で起きることです。 作曲家も演奏家もそこまでは面倒見切れませんし、そこまで面倒見るべきでもない。 それは「鑑賞者を大人扱いする」ということです。 だからベートーヴェンの交響曲は「お客さんを子供扱いしている」ということになります。 ベートーヴェンだって交響曲のようなプロパガンダ的、デモンストレーション的な目的で作曲していない時はお客さんを子供扱いしていません。例えばベートーヴェンの弦楽四重奏などです。

頭でっかちのスノビズムな前衛も本物の芸術ではない。ああいうのはただの手抜き。

鑑賞者を子供扱いも大人扱いもしないで無視しているだけのようなものもあります。 そういうのはお客さんの方で見極めなければなりません。 暇ならつきあってあげるもよし。 さすがにそういうものは駆逐されてきて、もう今ではあまり見かけなくなりましたけどね。 だから残るものが本物、普遍的価値を持つもの、それがクラシックです。 ベートーヴェンだって「お客さんを子供扱いするジャンル」では普遍的な価値を持っているからクラシックなわけです。 「お客さんを子供扱いするジャンル」も必要なのです。 問題なのは、 いつまでもベートーヴェンばかり聴いている、 いい大人がベートーヴェンしか聴けない、という状況に陥ることです。 しかしベートーヴェンを本当に聴けているなら、それしか聴けないということにはならないはずなのです。 つまりベートーヴェンしか聴けないというのは実のところそれすらちゃんと聴けていない恐れがあるのです。 音楽鑑賞ではなく音楽「観測」しているに過ぎない恐れです。

ではどんな想いを込めるのか。

メロディにドラマがあってそれを一方的に受動的に見ていればよい(定点観測でオッケー)というのが「難しくない音楽」です。 その「聴き方」とはつまり「歌謡曲の聴き方」なわけです。 そのスタイルを脱却できない限り、本物のクラシック音楽を聴くことはできません。 やはり敷居は高いのです。それはしかたのないことです。 敷居を超える努力をすることすらしなければ、 自分の知らない世界、もっと広くて美しい世界の扉も開くことはないでしょう。 敷居を高くしているのは実は自分の方なのです。 敷居などほんとうは存在しない。 心を開いた人には自動的に敷居は消える。

向こうからすり寄ってくるようなものにろくなものはないでしょう? 音楽だってそうですよ。 音楽に何を求めていますか。 美辞麗句を並べる太鼓持ちですか?おべっか使いですか?イエスマンですか? 売れてる歌謡曲ってそんなもんばかりですね。 あくまでも自分が主人、音楽は下僕。どこまでいっても自分自分自分。 お客様根性の殿様聴き。 クラシック音楽にもそういうのを求めますか?

込める想いとは。判りやすい単純なメロディやリズムで喚起できるものは感情の起伏だけです。喜ばしい、哀しい、楽しいとか。 そのレベルの鑑賞に「込める想い」も「共鳴」も「共感」も「共振」も必要ありません。自分からは何もする必要が無い。ただ喚起される感情の起伏に任せていればいい。それではベートーヴェンの上辺くらいは聴けても、とうていブルックナーなんか聴けない。

心の響き

根源的に喪失されている何かを求めて。 失われたものを補完しようとする果てしなき探求。 そういった道行きのプロセス。 結果ではなく、プロセス。 運動。 活動。 接続。 いまここに存在すること。 なにかへのゲートを開くこと。 なにかとコネクトすること。 響きと響きを接続し、重ね合わし、ひとつになり通信すること。 こういう音楽芸術鑑賞のスタイルは宗教的活動の一種と言えます。 本物の芸術とはなんらかの宗教的活動を必ず伴います。 その活動を完成させるが鑑賞者の作業です。 鑑賞者にも活動が求められるのです。

(かきかけ)

topic: classic
first posted: 2010-11-28 15:26:09
last modified: 2010-11-28 17:51:30