冷泉さんクラシック好きなのね。 ようするに「芸術に体育会系体質はナンセンス」でしょう?
ショパンコンクール決勝進出ゼロ、「オールジャパン」に再建策はあるのか? | プリンストン発 新潮流アメリカ http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2010/10/post-214.php

日本人の「指揮者を含むクラシック演奏家」に見られる傾向に「最後まで気力体力が持たない」というのがあります。 ブラスはもう「体力」が9割という感じなので日本人は圧倒的に不利です。 ヴァイオリンだって、ショスタコーヴィチ級の音楽になれば最後は体力です。 技術表現云々より「腕が疲れて動かなくなってくる」ようです。 ピアノはまだ体力が要らないほうでないでしょうか。 だから日本人が活躍できる楽器なんだと思います。

日本人演奏家には全体を見る力が無い。 構成力が弱い。デッサン力の欠如。質感には繊細に拘る。 いまなにをやっているのか、いまはどうあるべきか、このあとどうなるべきか、といったベクトル感覚の欠如。 美音の出しかたやメロディーの歌わせ方にしか意識が回らない。 静的な表現はあっても動的な表現はない。

そういった傾向の原因は何か。いろいろとありますが、 最も深刻な原因は「いい音楽をあまり聴いていない」からです。 じつは演奏家というのが音楽をあまり聴いていないのは事実です。 しかしこれはしかたのないことでもあります。 楽器の練習にほとんどの時間を取られているので音楽を聴く暇などありません。 カラヤンに「楽士と音楽の話はできない」と言われるのもそういうことです。 建築家と大工の図式です。大工は大工に過ぎません。 のこぎりやかんなを使うのがうまいのが大工です。 大工はそれ以上ではない。 それ以上の大工がいるなら、それは大工ではない。

ひどい音楽教師になると「他人の演奏は聴くな」とさえ言います。 「他人の演奏を聴くとその影響を受けてしまい、その真似に陥ってしまい、個性が殺がれる」んだそうです。 しかしもっと深刻な問題は生徒に 「他人の演奏する音楽に興味が無い」ことです。 はっきり言って「楽器を愛している」のであって「音楽を愛しているのではない」のではないか。 楽器が好きなだけであって音楽が好きなのではないのではないか。 愛しているのは「自分の出す音」や「楽器を弾いている自分」だけであって、「他人が出している音楽」には興味が無い。 もっとはっきり言えば「音楽活動家ではあっても音楽愛好家ではない」のではないか。

音楽教育は油断すると「演奏マシーンというかロボット」を量産する方向へ行きがちです。

ピアニストには指揮者の才能も要求されます。 ここが他の楽器とちょっと違うところです。 これは「指揮者にピアニスト出身が多い」ことの理由でもあります。 指揮者は聴くのが仕事です。 いいピアニストは自分を客観的に聴けます。 そして他人の演奏もよく聴いています。 聴く力が強いのです。 「楽士である自分」と「指揮者である自分」の二つの人格を同時に運転できます。 最終的に必要なのは「聴く力」です。 「弾く力」だけなら練習すればある程度まで手に入ります。 そのメソッドも確立されています。 そして音楽の表現にはその「ある程度」で充分なのです。 それ以上の「弾く力」を得たいと思う欲望は音楽的には邪道なのかもしれません。 しかし「聴く力」を手に入れるメソッドは確立されていません。 ちなみに「聴く力」養成メソッドの探求がこのブログ classiclog のミッションです。 聴く力をわきまえずに音楽をちょっと聴いて好きだの嫌いだのなら誰でも言えます。

ショパン コンクールも最近変わってきている。 受賞者を見るとそう感じます。ブレハッチの時がターニングポイントだったような。 最近のショパンコンクールにポゴレリッチが出れば、優勝できたりして。

(かきかけ)

topic: classic
first posted: 2010-10-30 12:51:52
last modified: 2010-10-30 14:08:16