ブルックナーは妖精のようです。 信じる者がいないと生きて行けません。 簡単に姿を見せたりもしません。

懐疑的お客様根性で殿様聴きをしている自称クラシック鑑賞者の前にブルックナーが立ち現れる事はないでしょう。 ブルックナーが現れないことを他人ごとのように言う人が自分の共感力のなさと想像力のなさと集中力のなさと信仰心のなさを知る事はありません。 ブルックナーを聴くにはもう身も心も汚れすぎてしまっているということに気付く事もありません。 汚れているからこそ、すべてを捨て、信じ、身も心も捧げ、浄化して清めてもらうのだという謙虚な気持ちもありません。 そして理屈ばかりこねた一生で終わるのです。

なんのためにクラシック音楽を聴き始めたのですか。 上澄みを舐めただけで、上っ面をなでただけで、クラシック音楽がいいとかわるいとか平然と言う不遜さはいつから始まったのですか。 音楽とは何ですか。 音楽を聴くとは何ですか。 音楽は書斎の肥やしですか。 蒐集はだれにでもできます。 鑑賞はだれにでもできるわけではないのです。 鑑賞は創造を伴う精神活動なのです。 音楽は完成品として自立している商品ではないのです。 完成された観賞用の美術品の類いではないのです。 音楽を完成させるには鑑賞者の脳の働きが必要なのです。 作曲家演奏家鑑賞者の3人4脚で成立させる芸術なのです。 完成品が「モノ」として目の前にどんと置かれるわけではないのです。 モノを扱うインターフェースしか無い人は本物の音楽を扱えないのです。 音楽は「コト」なのです。 美術品はあなたの存在に関係なく美術館に完成品として存在します。 しかしブルックナーの美はあなたに依存しています。 あなたが信じて始めて「あなたの前に」「あなたの脳の中に」現れることができるのです。 信じる人がいなくなればブルックナーは生きて行けないのです。 信じなければなにも起きないのです。

「なにかがすでにあり、それを解釈する」のが音楽鑑賞ではない。

topic: classic
first posted: 2010-10-26 03:05:20
last modified: 2010-10-30 14:20:02