(この項目は書きかけです。 調べものの参考にはなりますが)
偶有性=contingency?

「偶有性って何?」 と質問されました。 これはその返事です。

するどい質問です。いいとこついてきますね。 僕も勉強になります。 これじつはかなり深い問題ですよ。 偶有性という用語自体はべつに難しいものではないんです。 「偶有性とはなにか」を研究しているのが結局あの界隈の現状ではないかと思っています。 だから「偶有性」を盛んに唱えている人が「偶有性とはなにか」を簡単に答えられないのは当然なんですよ。 だってそれが何かをいま研究している途中だし、 生きている間に答えがみつかるとも思えません。 それほど根源的で深くて難しい問題です。

とりあえず大辞林 (三省堂)

偶有
[名詞](スル) ある性質などを偶然に備えていること。
偶有性
(哲学)(ギリシャ symbebekos; ラテン accidence) 事物の本質的でない偶然的な性質。

すごい。なにげにやりますね大辞林。さすがです。 僕があれこれ書かなくても、大辞林で充分な気もしますが、、、

「美人の美しいこと」が偶有性です。 ただし、「美しいことは事物の本質でない」とするならば、ですけれどもね。 当然、 「美しいことは事物の本質である」とか 「美しいことは事物の本質的である必然的な性質」とする立場もありうるわけで、 そうなると「美人の美しいこと」は偶有性ではないということになります。 (だめだ、かえってややこしい話に、、、)

ものすごく簡単に言うと、

偶有性は「たまたまあること」という程度の意味しかない哲学用語ですよ、もともとは。 たいした意味はないから、逆にどんな意味にも化ける。 とりあえずは、

偶有性とは
「他の状態でもありえたのに、たまたま、この状態になっている、という性質をもっていること」

というくらいの解釈でいいのではないでしょうか。

「あのとき告白できなかったから、たまたま、こういう状態になっている、こうならなくてはならなかったわけではない、あのとき告白していれば、また別の状態になっている、しかしどちらであっても、どちらもまぎれもなく自分である、どうころんだかは自分の存在に決定的なものではないが、どうころんだかの総合的結果がいまの自分である」みたいな。

みそは「偶有と偶然はどうちがうのか」ということになろうかと思います。 それを説明すればいいのかなと思います。 偶然は「たまたま」、偶有は「たまたまあること」。 「偶有」とは「偶然に有していること」というような解釈でとりあえずはいいのではないかなと。 だから、

偶有は「もの」ではなく「こと」です。
偶有は「もの」に付随している「こと」です。

というよりもむしろ、

「もの」は「こと」の結果である。
「もの」は
あらゆるたまたまな「こと」の
総合的な結果である。

というようなことをヘーゲルさんは言ってますね、結局。 そいうことを言ったのはヘーゲルさんが最初ではなかったかしらん。 ただしヘーゲルさんは「集大成の大家」ですので、このネタを自分で考えたかどうかは知りませんけれども。 (狭義と広義でまた違うけど、、、)

ここらでいったんまとめますと、

偶有=たまたまであるような、付帯的な性質のこと。
「そうならなければならなくて、そうなっているわけではない」こと。
必然の反対っぽいが、だからといって偶然=偶有ではない。
偶然に依存する付帯的なこと。

(ごめん、あとでもっとわかりやすい例が出できますから、
ここは我慢して読み進んでくだされ)

「偶有性の総体が実体」by ヘーゲルさん
「偶有性の反対は因果律」 by 脳科学者の茂木健一郎さん

正確に言うと、

偶有性という哲学用語自体は全然難しくないのだけど。 偶有性についてみんなすこし違うことを言うのよ。 ヘーゲルさんの言う偶有性と、 今の脳科学者界隈での偶有性が違う、 というのもわかりにくくなってる理由。

answer to life

ようするにはっきり言えば「偶有性とは何か」=「宇宙とは何か、世界とは何か、人生とは何か」ということなのですから、そんなの生きてるうちにわかるわけが無い。 じゃなんであの界隈は「偶有性」という用語を使いまくっているのか、 いままでみんながやってきた仏教じゃダメなのか、 という疑問がわきます。 ぶっちゃけあの界隈は仏教など知らないでいるのかもしれない。 そのうち「なんだ、仏教が同じことすでに考えてるじゃないか」とあの界隈で気付き始めて震撼することになるのかもしれません。 じつは「仏教を知ってて知らないふりをして、別の用語で同じことを言って、なにか新しいことをやっているように見せたり、なにか新しい価値観を提示しているように見せている」という可能性もあります。

とにかく、

偶有性=contingency だとします。 contingency を日本語で「偶有性」と言っているのは茂木さんですか? 茂木さんが「偶有性=contingency」だと言いきっているかどうかは知りません。 じゃ contingency とはなんでしょう。

MacOSX Dictionary

a future event or circumstance
that is possible but cannot be predicted with certainly.
付帯条件付き取り決め。

(MacOSX Dictionary かなり使えますよ便利だし)
LDOCE

a future event
that may or may not happen,
esp.
one that would cause problems if it did happen;
possibility:

We must be prepared for every contingency. 
We have contingency plans ready in case there is a flood.
contingency reserves.
新英英辞典 研究社

something
that may happen
depending on something else.
uncertainly of happening; dependence on chance.
an uncertain events; an accidental happening:

You must be prepared for all contingencies.

(最後の例文なんか、
茂木さんが啓蒙書で言ってること
そのまんまのような、、、)
(ヨーダがいいそうですね。
"You must be prepared for all contingencies. 
Begun, the Contingency war has...") 
OALD

event
that may or may not occur;
event
that happens by chance:

Be prepared
for all possible contingencies,
ie
for whatever may happen.
[attributive] contingency plans/arrangements.

なんかさっくり
all possible contingencies
= whatever may happen
だと書いてますね。
COD
持ってません :(
OED
持ってません :)
ODO (World version)

a future event or circumstance
which is possible
but cannot be predicted
with certainty:
a detailed contract
which attempts to provide
for all possible contingencies

- a provision for a possible event or circumstance:
stores were kept
as a contingency
against a blockade

- an incidental expense

- [mass noun] the absence of certainty in events:
the island's public affairs 
can occasionally be seen
to be invaded by contingency

- [mass noun] (Philosophy) the absence of necessity;
the fact of being so
without having to be so

Origin:
mid 16th century (in the philosophical sense):
from late Latin contingentia
(in its medieval Latin sense 'circumstance'),
from contingere 'befall'  (see contingent)

http://oxforddictionaries.com/

(Which resources were used
to create Oxford Dictionaries Online?
Main dictionary and thesaurus content:
Oxford Dictionary of English Revised Second Edition
Oxford Thesaurus of English Third Edition
すごい。Oxford Dictionaries Online は
OED がベースみたいですよ)

簡単に言うと possibility です。 accident も happening by chance も contingency のうちにはいります。 しかし「possibility 可能性」 「accident 不慮の出来事」「happening by chance 偶発」なんて言葉ではありがたみがない。 なんだあたりまえのことを言っているだけじゃないかと思われてしまう。 本も売れないし「混沌とした世界の迷える子羊に新しい価値観を提示する羊飼い」の役目も果たせない。 だから「contingency」という言葉を使う。 しかし contingency の訳語にいままでいいのがなかった。 偶然性とか偶発性と訳してしまうとちょっと意味が違ってくる。意味を誤解される。 だからあの界隈では「偶有性」という用語を努めて使うようにしているということでしょう。 「付随事態性」という用語でもかまわないかと思います。 というか「付随事態性」のほうがわかりやすいんじゃない?

たとえば。

「もしXが起きたらまちがいなくYが成立する」 というときの Y が contingency。 「軽自動車で事故ったらまちがいなく死ぬ」 というときの死 が contingency。 「浮気したらまちがいなく離婚する」 というときの離婚が contingency。 起きる可能性がまちがいなくあるけれども起きないでいる何か。 起きるためにすでにスタンバイしている何か。

「脳は偶有に対処し偶有を整理する器官である。 みんな脳を使ってなさすぎ。 脳を使わないということは偶有から逃げること。 偶有を恐れるな。 偶有と戦え。 逃げるな。 脳を使え。 直感を信じろ。 わき上がるクオリアに従順であれ」 というようなことを言ってるかと思います、 茂木さんは。 このへんになるともう「誰か私を呼びました?」 by ハイデガーさん

茂木さんは 「この世界に対処するためのしかけ」を見つけて、 そのしかけを提示しようとしているのであって、 そのしかけを使って「なにを作るか」が人々が「生きる」ということでしょう。 で、作られるものは結局のところクオリアなんだよ、 最終的にはクオリアなんだよ、ということです。

そして、生じたクオリアがその後どうなるか、 じゃ何のためにクオリアを生じさせる必要があるのか、 ということにまでなってくると、 デカルトさんが立ちのぼってくるわけです。 蘇った不死鳥デカルトさんを避けて通れなくなります。 デカルトさんが正しいってことではなくて、 ちょうどそのへんをデカルトさんはやっていて、 未完成のままデカルトさんは死んでしまったというところでしょう? だからデカルトさんにはつっこみどころ満載なのはしかたない。 だからといって「デカルトさんはもう終わっている、すでに否定されている」と考えるのは浅はかであって、 「点と点を結ぶのが使命の人」であればそんなことを言ってられないのですよ。 「デカルトさんは誤解されている」のではないかと考えてみることさえないようで、 なにがわかるかという問題ですよ。

茂木さんの言説にすがるだけの人々、自分の脳を使おうとしない人々など、 茂木さんは求めてはいないのでは? 「私に頼らず自分の脳を使え」と思っているのでは?

偶有から秩序を「適度に」見出すのが脳の幸せ。

脳は、もともと、容易には予想できない要素が本質的な役割を果たすという「偶有性」を前提にその動作が設計されている。そのことは、認識のメカニズムや、意識と無意識の関係、記憶の定着や想起などのプロセスに反映されている。偶有性に適応するからこそ、脳は創造的であり得る。グローバル化に伴う「偶有性」の増大に適応することは、脳本来の潜在的力を発揮することに、必ず資するはずなのである。 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/07/post-c775.html

「偶有性」はある意味なんの意味も無い。

世界は偶有性を持っている(=世界は起きる可能性のあることを隠し持っている)のは、「全ては運命に従っている、運命は変えられない、未来に起きることはすでにすべて決まっている」という理屈を否定するならば、そして否定する立場が現在の主流なら、「偶有性」など自明のことであって、なにをいまさら言っているのかという批判もあるわけです。

将来起きる可能性があるのにまだ起きていないなにか。 起きる可能性があったのに起きなかったなにか。 もしXが起きたらYが起きる場合のY。 Xが起きなかったのでYが起きることもなかった場合のY。 起きる可能性のあることがわかっているけれど起きるかどうか確実に予報できないなにか。 地震とか洪水なんかも contingency といえる。 で、contingency に対処するのが脳という器官の本来の目的であると。 contingency に対処するのはなんのためかというと生命の生存率を高めるためですよ。 脳は生き残るために使うのが本来の使い方であって、 それ以外の使い方はなんなのかという疑問がでてくる。 茂木さんはあたりまえのことを造語で言い換えているだけであって、 なにも新しいことを言っていない、 なんの提示もしていない、 といった批判があることも知っておきたい。 しかし、仏教と同じことを仏教の用語で本を書いたとしたら、それは仏教の本であって、 新書とか読むのが知的活動として精一杯の大衆がそんな本を買うのかという出版事情がありそうなことも知っておきたい。 結局仏教と同じことを言っているとしても、造語新語を使わないと「新しい価値観が今、産まれている」みたいな感動を無知な大衆に与えることはできませんから。

「今や、世界のさまざまな要素が、お互いに相互作用で結ばれてしまっている」by 茂木さん。 そんなもん仏教の縁起じゃん、なにをいまさら、仏教も知らんのかいなこの人は、 という批判もあるわけです。 脳をやるなら仏教は避けて通れないだろうと思うわけ。

そもそも。

茂木さんてハイデガーなの? 一元論なの二元論なの? プラトンなの?アンチプラトンなの? デカルトなの?アンチデカルトなの? そこんとこ茂木さん自身も揺らいでいる? 最近はデカルトさんを無視できなくなってきた? 茂木さんの考えることくらいブッダさんを親分にして何千年もまえからみんな考えてきてるとか、 その道はいつかきた道とか、 車輪の再発明とか、 そういうこともあるわけです。

結局、「偶有性」とは「縁起」を別の造語にしてるだけと思っていいかと。

「生命と偶有性」 内容紹介: 「世界はわからない」から美しい。クオリアから仮想、そして偶有性へ----。 『脳と仮想』(小林秀雄賞受賞作)から六年。脳科学者が"本気の思索"で掴んだ、新しい生命哲学。 「偶有性」とは何か。 この世のすべてが、決して確かなものではないということ。 自分が置かれている状況に、絶対的な根拠はないということ。 必然と偶然が混ざり合う状態、それが偶有性の領域である。生命はこれまで、偶有性に適応することで進化してきた。その過程を明らかにすることは、「意識の謎」を解く鍵となる。私たちは偶有性から逃れることはできない。その正体を見極め、生命と偶有性を結びつけることで、私たちはきっと再生できる。人類と偶有性の格闘の歴史をたどり、「何が起こるかわからない」世界と対峙する覚悟を示す、新しい生命哲学。 内容(「BOOK」データベースより) 人類と偶有性の格闘の歴史をたどり、「何が起こるかわからない」世界と対峙する覚悟を示す、新しい生命哲学。

じゃあ「縁起」って何ということになりますと「ダライ・ラマの仏教入門」でも読んでください。 「ダライ・ラマの仏教哲学講義」もわかりやすくておすすめ。

単行本

素朴な疑問。

「偶有性とはなにか」ということよりも、 茂木さんはアンチデカルトなのか。アンチプラトンなのか。 結局、一元論の限界から二元論へ移行する予定なのか。 「空」一元論の仏教へ行き着くのか。 現状ではポパーさんやエックルズさんにたいしてどういう立場なのか。 といったことのほうがはっきりしないとなんともならない。

しかし茂木さんの危なさとはなにか。 クオリア上等主義にハイデガーさんが「お呼びですか?」といえば答えとしては十分でしょうか。 運転免許ももってない人に 「アクセルを踏みつけろ、ブレーキなんか踏むな、事故を恐れるな、クオリア上等」 とあおっているようなものだから。 「偶有性の海へ自分を投げ込め」って 「未来へ自分を投げ込まれるな、未来へ自分を投げ込め」というハイデガーさんとどう違うのか。 仏教の密教がもつ危険性に似ている。 最高の刃物は子供がもてあそぶものではない。 そこんとこさえおさえておけばよいかと思います。 ニーチェさん、ハイデガーさんのラインが腐った支流を産んだメカニズムを理解しているなら、 茂木さんを追いかけても大丈夫でしょう。 というと、 ほとんどの人は茂木さんについていってはいけない、 ということになってしまいますか。

というような答えでいかがでしょう。 僕は茂木さんに関しては、 茂木さんの一般向け啓蒙書を1冊と茂木さんのブログをときどき読んでるだけです。 もしどこかで茂木さんが「偶有性 = contingency ではない」と言ってるならば、 僕の答えは全部書き直しになります。

ヘーゲルさんも仏教もハイデガーさんも茂木さんも結局、

偶有性の総体が実体である
偶有性=コトである
コトの総体がモノである
モノはコトである
モノよりコトが先である
生きるとは project である

と言っていると思っていれば大丈夫かな。 哲学に興味を持ったら、 プラトンさんとヘーゲルさんとデカルトさんとハイデガーさんとポパーさん、 この5人がキーパーソンであることを覚えておいてください。 できれば、ユングさんとウィトゲンシュタインさんのことも覚えてください。 あとは無視して大丈夫です。哲学だけに病的に耽溺している時間はないですからね。 チベット仏教の本をどうせ読むならダライ・ラマさん本人が書いた本を読んでください。

結局ややこしいのは、

偶有性=宇宙
偶有性=世界
偶有性=コト
偶有性=縁起
偶有性=神

どれも間違ってはいないということ。 逆に言えばどれも実は「何も言っていない」ということ。

偶有性=空

と言いきったってそんなに文句を言われる筋合いはないかもしれないよね。

ここまで読んでくれてありがとう。おつかれさまでした。 ちょうどいいタイミングで見つけたおもしろい youtube 映像です。アハハ! しかしこのアハ!で頭が良くなったとは思えないけど、良くなったと思っておきます。

アハ体験 wikipedia

Secure Base セキュア・ベースのこと。

プロフェッショナルらの成功の一因であるとモギさんも言っている。 ファンタジーやオカルトは強力なセキュア・ベースになる。 だから、ワーグナーやブルックナーというようなフルスペックのクラシック音楽はただの音楽鑑賞の対象ではなく、世界とか空間である、時空の体験であるから、普通の聴き方(殿様リスニング)で接しても時間の無駄だということを、僕がさんざんこのブログで書いてますのでそっちも読んでね。 ブルックナー classiclog

(かきかけ)

topic: philosophy
first posted: 2010-09-12 01:13:52
last modified: 2010-09-14 16:24:31