ノーベル文学賞の下馬評に出た時点で取れなくなるらしい。 「村上春樹は文学で音楽をしようとしている」 最も明快で簡潔な村上春樹論はこれでしょう。 筆舌を尽くす必要はない。

ほんとはここでこのエントリは終わってましたが以下蛇足。

しかし「文学で音楽をする」という意味を誤解されないためには 筆舌を尽くす必要がありそう。 音楽的な技法や理論を小説に応用するとか、 音楽のことを持ち出すとか、 海辺のカフカみたいに音楽の話がどんどん出てくるとか、 音楽が聴こえてくるような文章を書くとか、 文章のリズム感が音楽的だとか、 そういう意味ではない。

小説が「音楽しようとしている」からこそ 「筋を追うな。意味を問うな。頭使うな。理解しようとするな。体感しろ。委ねろ。浸れ。楽しめ。直感せよ」 という音楽鑑賞の良きスタイルが読者に要求される。 音楽なんかあまり聴かない読者の場合、このスタイルを取る事は困難だろう。

象徴がどうの、比喩がどうの、文体がどうのなんて論は表面的な枝葉にとらわれているにすぎない。 音楽鑑賞でもそういうことにとらわれてしまって音楽を楽しめない人がいるくらいだから、 読書ではそういう事態が腐るほどありそう。

村上さんを受容できない人というのは、 音楽を聴くのが下手な人である可能性が高いのではないか。 ジャズやクラシック音楽を嫌悪するような人々であるかもしれない。 ナルシズム、スノビズムに敏感に反発する人である可能性も高そうだ。 適度のナルシズム、スノビズムは決して悪い事ではないどころか、 人間が人間としてあるために必要なの。 ナルシズム、スノビズムは、多すぎたり、少なすぎたりするのが、よくないの。

本当は音楽がしたい人がいて、作曲家や演奏家の才能はなかったが、小説家の才能はずばぬけてあった。 だから小説で音楽をしようと、ある日ふと思った。 作曲や楽器ができればたぶん作家にはなってないんじゃないか。 文学で音楽をしようとしているから、 何かを ひょひょいのひょいとまたいじゃってしまっている。 またがれた側は、なぜまたがれてしまっているのか、わからない。 そこんとこが嫉妬と憎悪の対象にもなる。

じゃ、村上さんはどういう音楽をしたいのかというのが、 酒のつまみとして面白そうです。 ジャンルで言えば後期ロマン派から新古典主義といったところで、 神秘主義も入ってるから、敢えて言えば一番似てるのはブルックナーだと思うんだけど。 耳には心地よい響き。シームレスな転調、移調。現世と霊界の混在。表層と深層の混沌。 憧れと苦しみに翻弄される。

ジャンルとしてヨーロッパの後期ロマン派+新古典主義+神秘主義なクラシック音楽ということであれば、 日本よりヨーロッパやアメリカで受ける理由も説明できる。 彼らには村上さんの小説をクラシック音楽として聴く素養がある。 だからすんなり受け入れられ、楽しんでもらえる。

topic: book
first posted: 2008-10-10 16:26:45
last modified: 2008-10-25 13:10:02